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残業である
日中も激戦であったが、激戦であったが故に書類にまで到底手が届かず、残ってやっておる
ので、ちょっと休憩にてアップしておるのだが、
坊との風呂の時間までには切り上げて、残ったら家でやろうかなとも思っておる
それは、ちなみに今、わしが一番「幸せやな」と感じる時間の中で、『坊との風呂』の時間が上位に入っておるからや
特に何か特別なことをしておると言うわけでないが、一緒に風呂に入っておる数十分の時間が、気がついたら結構幸せ感が大きいなと思うよってな
恐らく、わしが思う生きる中での目標として、
「
成長していくこと」 と、「
幸せを感じること」
の両方が一度に感じられるから、と考えられる
勉強もそうやな
と言うか、よく人から「何故にそんなに勉強するんですか?」と聞かれるが、若い頃酷過ぎる戦いの日々に明け暮れておったよって、今わしが叶えたい目標にたどり着くためには自己のレベルを上げないとあかんよって、日々勉強せざるを得ないのだが、
自己の成長が一番と思っていた若輩期
子の成長こそが、一番幸せな「成長を感じる時間」と言うことに気がついたからに他ならない
一緒に風呂に入り、いつもわしが坊へと問いかける質問がある
それは、
「
今日は何が一番楽しかったんや?」、や
人の脳は不思議なもので、質問によって意識がフォーカスされるものが違うよって、たとえば自己に対しても、「何が一番嫌いだろう?」と問いかければ、すなわち一気に思考は嫌なものをイメージし出すはずや
よって、質の高い質問を常に問いかけていれば、人生の質を大きく変えかねない
そこら辺を坊への教育と言った形にして、いつも問いかけているのだが、その質問の答えの、それこそ質が段々上がっていくのを如実に感じられるのが、幸せ感が大きいのだろうな
誰しも毎日楽しく暮らしたいと願うじゃろう
わしもそうや、当たり前だがな
ただ、いろいろ考えてみるに、ただ単純に楽しさばかり毎日求めて行っては、心からの幸せ感には辿り着けないのとちゃうかな?と思う
楽しいのは、正直誰とおっても楽しいと思う
対して、幸せってのは、楽しさの積み重ねと言うのは当たり前だが、ある意味ネガティブなことも逃げずに歯をくいしばってでも耐えたりした上で、到達できるものとわしは思う
やるべき事から目を背け、逃げてばかりおってはあかんのだと思う
以前のわしがそう言うところがあったと思うよってな
そう言った意味で、子どもとの日々と言うのはわしにとっては天からの、まさに授かりもんじゃった
最近お世話になっておる喫茶店のマスターとの会話を以前書いたが、子どもを得て、初めて本当の意味での自己犠牲だとか我慢などを知ったと思うよってね
馬鹿なわしは、娘っこちゃんとのそう言った時間を手放し、悲しみに暮れようやく気付いた真理であったがな
ばか騒ぎの楽しさを100回やったとして、死ぬ時に残るのは楽しい思い出であろうが、
土に還る時に後悔しない生き方と言うのは、逃げずに立ち向かった中から来るものと思っておる
今やるべきことを、精一杯やる
それが最後の瞬間を迎える時に、一番後悔しない生き方なんじゃと思うよってな
やっぱ、
漢は逃げたらあかん のぉ
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- 2009/08/25(火) 19:44:54|
- LOVE
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| トラックバック:0
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| コメント:2
早川代表>『誰かに向けて』と言ったものではなく、こうやって書くことによって、色々学んだ好い事を自己に刷り込みさせると言う意味合いで、こう言ったことを時折書いてますが、
早川代表もご存知の「ある事件」通り、若年期はそれこそ穴があったら入りたい気分にさせてくれる事件のオンパレードでしたからねぇ・・・・(笑)
会社の若い者に、「時折話を聞いていて、御坊さんの「説法」かと思えたりします」と言われましたが、一番奥底の自我はこうやって意識を好い方向に向けておかないと、それこそまた◎◎事件勃発を引き起こしかねませんからね。
格好つけのセリフではなく、ホンマに「子」を得てから、人としての正の感情を得たと思っております。
子に限定するのではなく、人との中からしか自己にとっての真理は得ることが難しいんでしょうね。
といった観点からも、わしにとって早川代表はまさに師匠ですよって、今後ともご指導願いますね。
そうそう、例のプレゼントが届きましたよって、近いうちに持参します。
◎ス◎ルは、入手がかなり困難になっておりますので、止めましたよ(笑)
- 2009/08/28(金) 09:13:05 |
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- 善太郎 #-
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